入社当時の昭和製線は、まさに「沈みかけた船」でした。出荷量は減少し、値下げ要請に応じざるを得ず利益も圧迫。さらに、お客さまの品質要求は年々高まる一方で、それに追いつけずクレームが増加していました。転機となったのは、「原因調査に時間をかける」と決めたことです。たとえば、表面にメッキを施す前の銅線をどれだけきれいに洗浄できているか。ごくわずかな汚れ残りがメッキ不良につながることを突き止め、工程を一から見直しました。 「全社員が品質向上についての研究員である」という創業時からの精神に立ち返り、3S活動や改善活動を徹底。クレームは徐々に減り、社内の意識も「言われたからやる」から「原因を自分で考える」へと変化していきました。品質を地道に磨くことは、派手さはないものの、信頼を取り戻す唯一の道でした。この積み重ねが、後の海外展開でも大きな武器になります。
展示会で知った「日本製だから欲しい」という海外ニーズ2014年、廣瀬が社長に就任した直後も、経営は依然として厳しい状況でした。受注を増やすために出展した東京ビッグサイトの展示会では、「何を売るか」も手探りのまま、自社で加工した銅線を並べただけのブースからスタートしました。そこで予想外の反応を示したのが、台湾・香港・東南アジアからの来場者です。 「これは自国で買えるのか?」 「日本製が欲しい。自国の製品は信用できない」 当時、昭和製線は海外販売を想定しておらず、価格競争に勝てるとも考えていませんでした。しかし現地価格を調べてみると、品質を加味しても十分に勝負できるレンジであることが判明。まずは小さくネット販売からトライし、東南アジア向け輸出へと一気に加速しました。結果として、東南アジアから安定的な注文が入り、会社の業績はV字回復。 「高品質な日本製の銅線」という強みが、国内より先に海外で評価された瞬間でした。V字回復後も、昭和製線は現状維持にとどまりません。廣瀬が次に目を向けたのが、太陽光パネルの大量廃棄問題です。FIT(固定価格買取制度)の終了に伴い、まだ使えるパネルが産業廃棄物として処分されてしまう現実に疑問を持ち、「アップサイクル」という形で価値を再生する事業に挑戦を始めました。メガソーラーから出てきたパネルを、ホワイトボード兼発電パネル、テーブル、卓球台などに加工。普段はオフィスや公共空間で使われ、非常時には発電設備として機能する――そんな「超小型発電所」を各地につくる構想です。その代表例が、大阪・関西万博の会場に設置された「そらいす」と名付けたベンチ。屋根部分にアップサイクルしたパネルを配置し、日陰と充電スポットを提供しながら、CO2削減にも貢献しています。半年間の万博を長期の実証フィールドと捉え、来場者の反応や使用データをもとに、形状や機能を改良し続けています。
小さなメーカーだからこそできる、「とりあえずやってみる」挑戦昭和製線で重視しているキーワードが「人間力」です。同社ではこれを「相手を思いやる言動を通じて、周囲に好影響を与える力」と定義。年齢も国籍もさまざまな20名の社員が、自分の工程だけでなくお客さまや仲間を思い浮かべながら仕事に取り組む文化を大切にしています。特徴的なのは、「環境が人を育てる」という考え方です。経営層からの前向きな声かけや情報共有を通じ、社員が自分で考え、提案し、試してみることを後押ししています。小さな会社だからこそ、「とりあえずやってみる」スピード感で、新しい改善やアイデアがそのまま現場に反映されていきます。
「安定」と「変革」が同居する職場で得られる経験創業100年以上の歴史と、かつて「沈みかけた船」と表現された危機。そこから品質改善と海外展開で立て直し、さらに太陽光パネルのアップサイクルなど新たな領域へと舵を切る昭和製線は、「安定」と「変革」が同居するフェーズにあります。決まった答えをなぞるのではなく、原因を自分で突き止め、改善策を提案し、海外や新規事業など未知のフィールドにも踏み出していく。そうした環境でキャリアを積みたい人にとって、昭和製線のストーリーは一つのリアルな選択肢を示していると言えるでしょう。